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zoom RSS シューマン『謝肉祭』の演奏比較

<<   作成日時 : 2008/12/13 09:14   >>

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61.『謝肉祭』

 この曲こそ、シューマンの精神の危機を代表する曲と言えるだろう。活発なフロレスタンに物思いがちなオイセビオ。人格を表す名前が付いているがために、人格の分裂だ二重人格だと短絡的に反応する人種が出てくる。しかし、その交代自体はショパンの『前奏曲』と同様、正常な精神の表れといってもおかしくない。現に、ステージという魔の空間でのグランドマナーを示すのに最適の曲ですらあるのだから。
 むしろ、危険なのはオイゼビオのなか、フロレスタンのなか、同じ1曲のなかでの曲調の変化、突発する情緒の方だ。これこそ、一つの精神が安定的に存在し得ない精神構造そのものを表しているとも言えるし、別の精神に脅かされている不安を表現したものとも言えるだろう。

モイセヴィッチ  ヘス  ルーヴィンシュタイン  ゲルバー  フレイレ旧  フレイレ新  ミケランジェリ旧(L)  ミケランジェリ新  リカード

●モイセイヴィッチ。ピアノロールによる再演レコード。機械的な限界がどれだけあるのかよく分からないが、遅くて歯切れの悪い演奏。低音もズシリと響かない。明暗、強弱の差が小さく、速いところは駆け足になってしまって十分に叩けていない感じ。曲の捉え方も気分的。この時代には音楽を再現する方法論的なアプローチなどコンセプトすらなかったのだろう。
●ヘス。ほんの少し時代が下るだけで、ガラリと音楽が変わる。戦前とは思えない整然とした音楽。熱い思いを叩き込みながら、のめり込まない集中力と打鍵の強さ。最後2、3曲で聴かせる低音の轟然とした響きの強さと熱さの魅力。ここでも協奏曲と同様に、無理なく情緒の流れを作り出そうとしているが、往復運動が基本にあるので、かえって難しくなっている。
●ルーヴインシュタイン。これぞステージのグランドマナー。明るく健全な夢に酔わせる魔力。テンポは速く、一曲ごとに型にはめた感じの演奏。重視するのは反復音型。それを強調することで、構成感を感じさせようという戦略。個々の曲の情趣は深く追っていない。ほとんどテンペラメントの感じられない演奏。ゆったりした曲はあくまで温和、速い曲は技術の見せ場。淡々とした仕上がりで、熱に浮かされたところがない。これが名盤に数えられていたということは、健全さがいかに大切にされてきたか、ということの証左でもある。その意味で貴重。
●ゲルバー。この人は今でも19世紀的なステージ・パフオーマンスの世界に生きている。いつかテレビで自分の演奏の特徴を説明していた。哲学的な用語を使おうとするが、完全ではなく説明の内容を途中でいい加減に放り出してしまう体のものだった。つまり、音楽を頭で理解しているのではなく、音楽を音楽として、自分の生業のステージでの振る舞いとして理解しているのだということが分かる内容だった。
 ステージでピアニストに求められる華と名技、一瞬の瞑想世界。それら聴衆を虜にする手段としてどんな演奏をしなけばならないか、それを直感的に掴んでいるピアニストであり、長年のステージで技に磨きをかけているというのが、この芸術家の実態だろう。芸人と芸術家の境をどこに置くかという問題が生じてくるのだが、それは音楽の質で判断するしかない。
 なんとも抜けるように奇麗な音色。単音の美しさが素晴らしく、ふくよかですらある。華やかで明確なタッチ、そしてそこかしこに色香が漂う。オイゼビオの憂鬱の美しさ。一曲一曲の性格の明確なこと、描きわけると同時に全体の流れも無理なく構築し、次第に高揚させていく説得力も特筆もの。これを天性の芸術家と呼ばずになんとしよう。
●フレイレ旧。豪壮。圧倒的な速さで見せつけるテクニックの冴え。これまたグランドマナー・スタイルの健全な名人芸。華々しく鳴り響いて、人を圧倒する。
●フレイレ新。あまりレパートリーは広くないようで、久しぶりに録音を再開したと思ったら、若い時とレパートリーの重複が多いようだ。
 それはともかく、ほとんど同じアプローチなのだが、圧倒的な迫力と説得力を獲得している。入りのテンポを落としているのが特徴的なように、所々テンポを落とすことによって速さを際立たせるテクニックを身に付けている。低音の響かせ方もズシリと重さを感じさせるようになっている。これらのわずかな変化で生じたことは莫大で、圧倒的な説得力と雄大なスケール感で音楽が迫ってくる。見事。これま高座百遍ということなのだろう。この人も勉強家タイプではなくテンペラメントで勝負する人だけに、その精神の緊張力を維持しているということに感心する。
●ミケランジェリ旧。中盤以降テンポアップするとはいえ、スタートからゆったり悠揚迫らざる演奏。スタティックで構造を透かして見せるような演奏。曲ごとの音色の変化、表情の変化は少ない。終盤に再度テンポを落として、堂々とした終結を迎える。ライブ録音で音が貧しく、あまり評価の対照とはしにくい。
●ミケランジェリ新。前後に『子供のアルバム』からの小品を置いているのが変則的な扱い。
 ライブ録音と同じようなアプローチ。さらにテンポが遅くなっている。分厚い響きの低音部から積み上げられたズシリとこたえる音が主役。ゆったり慌てず騒がず音楽を構築して行く。まさに構築という言葉が必要なほどの建築物として音楽が組み立てられる。あまりの堅固さに、一曲ごとの詩情などは瑣末なことがらのように遠ざけられてしまっている。『前奏曲』のスタイルで貫かれていて、突発する不意の音楽のあえぎまようなものは完全に封殺されている。シューマンらしさは感じにくいけれど立派な演奏。すべての作曲家に対するのとおなじミケランジェリ・スタイルがここでも展開されているということ。
●リカド。一瞬、端然とした冷静な演奏スタイルだと勘違いしてしまうかもしれない。それほど音楽の縦線が奇麗に垂直を保っている感じがする。その律儀さを守りながら、横線の勢いの活かし方にこのパワー溢れる女流の魅力がある。一瞬の爆発力の強さで聴く者を圧倒する。張り詰めた表情が、音楽を生々しい存在にしてくれている。堂々とした構成力とあいまって、スケール大きく情感もたっぷりな音楽が聴ける。
 リカドは若い時にSONY専属で活躍していたけれど、その後鳴かず飛ばずで、マイナーレーベルに移って低迷。2、3年前NAXOSからゴットシャルクのアルバムを出し、ユーモアを交えた余裕ある演奏で健在を示してくれた。でもその程度のことで燻っていてはもったいない逸材。なんとかなりませんかね。

 名技性を含んだ曲だけに、シューマンの性格を掘り下げて研究するよりも、いかに受けのよい、人を圧する演奏が出来るかの研究に余念がなくなるのだろう。思った以上に健全なアプローチの演奏が多かった。

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