ドビュッシー『子供の領分』の演奏比較

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35.子供の領分

 ドビュッシーのピアノ曲でどれが一番有名だろうか。“月の光”“水の反映”“亜麻色の髪の少女”“アラベスク”? 単独曲では有名なものがいろいろあるけれど、曲集のすべてがよく知られているということになると、“映像”“前奏曲集”を抜いて『子供の領分』ということになりそうだ。稚気とファンタジーが綾なす可憐な曲ばかり。

ドビュッシー コルトー フランソワ ミケランジェリ ベロフ旧 ベロフ新 パラスキヴェスコ ヴォロンダ 児玉桃

●ドビュッシー。ピアノロールに残された本人の演奏。どう聴いても上手い演奏とは言えない。指の分離が悪いのか、速いパッセージでの音の歯切れがもう一つで、粒立ちがよくない。一音一音に魅力はないのだけど、全体としてはそれなりにニュアンスの魅力がある。リズムが良くないのはやはり指の運動能力の問題だろうか。メロディーの浮き上がらせ方に聴き応えがある。
●コルトー。ずいぶん古いスタイルの演奏だと思い込んでいたのだが、ドビュッシーと比べることで、近代的で科学的なアプローチを心掛けていたんだなと了解できる。音価が物理的に正しく割り振られることで、平静で見通しのいい音楽世界が開けた感がある。柔らかいけれど明晰なタッチで1音1音を正確な位置に固定しようとしているかのような、慎重で篤実な響きが感じられる。
●フランソワ。この時代にるともはや、楽譜の読みにたいする物理的な知見は当然のものになっている。明解なタッチでクリアな音楽を作る。フレーズごとに、和声の変化に即応してガラリ、ガラリと音色、表情が変化する。その即興性に味がある。
●ミケランジェリ。グラモフォンに録音を開始した頃のもので、ショパンのマズルカを中心にした盤とともに圧倒的な世界像を開示した。子供向けの音楽であるにもかかわらず、立派としか言い様がない。6曲すべて大理石の彫像のように、深く刻まれ、透けて見えるように磨き込まれている。細部も拡大されいるかのように明確。タッチ、リズム、バランス、すべて物理的に計測され、小数点以下まで誤差が生じないという信頼度の高い演奏。
●ベロフ旧。ベロフは圧倒的な運動神経の持ち主と言えるだろう。明解なタッチ、鋭いリズム感でかつてだれも達成したことのないような歯切れのよい響きを作り出し、驚くべきスピードで駆け抜けて行く。そのスピードを獲得することで、因習的に張りついて取れない情趣を振払ったように清潔だ。
●ベロフ新。約20年を経てベロフも成熟してる。ニュアンスを恢復している。しかし、かつての時代に戻ったのではなく、自分が見つけた新しい情趣を厭うことなく愛情をもって表現できるようになっている。“象の子守歌”での最低音域の充実した響きなど、新鮮でフッと息を止めて聞き入る瞬間が何度もある。
●パラスキヴェスコ。ルーマニア出身でパリ音楽院の教授となれば、エネスコのような存在かと思いたくなるが、残念ながらそれほどの知名度も信望も勝ち得ていない。しかしこのカリオペに録音した全集は立派。印象派スタイルではなく、ドビュッシーから対位法的な面白さを探り出そうとしいる。低音がつねに独立して響き、曲を立体的に構築することに成功している。清冽な響きも魅力の大きな部分に違いない。
●ヴォロンダ。フランスの絶えて久しい有望新人との触れ込みだったが鳴かず飛ばず。むべなるかな、このデビュー盤に関するかぎり、まだまだ小物で気持ちのいいムード音楽に終っている。薄く浅く表層をすべっていくような音楽。茫洋派で、当を得た感じはあるけれど、感銘にはいたらない。
●児玉桃。運動性とソノリティと、部分ごとに重点を置き換え対比しながら進む。そのどちらも最高レベルの充実度を示している。呼吸も深く大きな音楽を作り出している。“象の子守歌”では中低音域の和声の上にメロディーをたゆたわせるなど、安定感の上に自由に情趣を遊ばせる器量がある。素晴らしい演奏で絶賛に値すると思うけれど、どこか二番煎じ的でオリジナリティを感じさせる部分に欠けているようにも思う。すべてをやり尽くした後の世代の辛さか。

 ピアノの演奏テクニックが飛躍的に向上していて、そのテクニックとともに音楽も進化しているようだ。どの時代の音楽を愛するか、聴く側にも、明晰な知見が求められている。