ドビュッシー『牧神の午後への前奏曲』の演奏比較

画像
33.牧神の午後への前奏曲

 牧神はパンフルートが得意。アポロンと競って、その神聖な美しさの前に負けてしまったバッカスと同様、野性的な官能性を代表する半神の一人だ。ドビュッシーにとってもフルートは官能性を表現する重要な楽器で、“シリンクス”“フルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタ”のようにもっともドビュッシーらしい成果をもたらしている。

モントゥー/ロンドンso ミュンシュ/ボストンso ムラヴィンスキー/レニングラートpo アバド/ロンドンso プラッソン/トゥールーズ市立o デュトワ/モントリオールso ブーレーズ/クリーヴランドo

●モントゥー。なんとも匂いたつようなニュアンスの豊かさ。たゆたう美しさ。終始一貫、あわてずさわがず、ゆったりふんわりとした音楽を響かせる。フルートが優しく吹きはじめると、ほとんど吐息のように聞こえる。温かい体温を伴った官能性。ビロードの感触。すべてにぞくぞくする魅力に溢れている。
●ミュンシュ。こちらは、フレーズごとに細かく反応し、微妙に表情を変えることで繊細さ、敏感さを表現しようとしている。起伏、遅速に工夫があり物語性を感じさせる音楽になっている。
●ムラヴィンスキー。まるで縁のなさそうな組合わせだけと、本人は得意にしていた曲のようだ。ロシアは無骨のようでいながら、貴族たちはフランス語に親しむ洗練趣味を誇っていた。それを考えればあってしかるべき組合わせ。メロディー主体の構成で、フルートが全体を引っ張る感じ。野性的な響きが本質を突いている。
●アバド。老巨匠と反対にフルートをオーケストラ全体に埋没させるように、ハーモニー重視の演奏。響きは分厚くボウッとかすみたなびくよう。ゆったりとした導入で、瞬時に牧神の周辺世界もふくめてすべての雰囲気が醸成される。
●プラッソン。リズム、アクセント、強拍の強調でふわふわと揺れるような音楽になっている。ここでも茫洋とした響きは相変わらずで、既成の印象派的イメージにふさわしい。アインザッツが微妙にズレるところが、ただ音が濁るのではなく、霞で光が乱反射して明るく光るような共感覚を伴う感じの響き。ひょっとしたら、フランス人だけが知っている演奏テクニックがあるのかもしれない。
●デュトワ。オーケストラの団員のティモシー・ハッチンソンの名前を一躍高めた録音。どこまでも柔らかく優美な音色。輝きにも満ちていて魅力満点。ただ、静かで優しい演奏は去勢されたようなイメージでもある。はたして、パンの笛の表現として適しているのかどうか、やや疑問も残る。
●ブーレーズ。新しい90年代の方の録音。相変わらずオーケストレーションのすべての工夫を解説してくれるような演奏。響きに透明感があり、すべての楽器が透けて聴こえる。速く揺さぶるような演奏で、以前より情動への働きかけを重視するようなったなと思う。フレーズごとに主役となる楽器をクローズアップしてみせる。それがストコフスキーのようサービス精神から出たものでなく、分析力の誇示のようなところが少し鼻につく。

 純粋な美というものが果たして存在するのか? 古来アポロ的な美として崇められているけれど、予定調和の退屈な音楽のように思う。その点、野生と官能に支配された音楽は浅薄だとしても現に生きて動いているこの身体が感動しなければ意味のないものだから、予定調和にだけは堕ちることがない。ドビュッシーも理論構築の未完成時代は素晴らしく魅力的だ。