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zoom RSS バリオス・マンゴレ

<<   作成日時 : 2005/08/03 09:21   >>

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バリオス・マンゴレ、アグスティン
(1885〜1944)
(23)大聖堂
(24)最後のトレモロ
(25)ワルツ第3番
(26)アコンキーハ
(27)郷愁のショーロ

 バリオスは1920年代ラテンアメリカ最高のギタリストだった。SPレコードのもっとも早い時期、中南米全域で愛された国際的なスターだった。スペイン生まれでギターの神様と呼ばれるアンドレス・セゴビアは彼よりも8歳年下の新進スターとして1920年、ブエノスアイレスで公演した。この機会に二人は出会い、セゴビアは彼から多くの刺激を受けることになる。バリオスのスチール弦をナイロン弦のように優しく柔らかく響かせる工夫、バッハからモーツァルト、ショパンなどの奏法についてのアドバイスを彼の生存中何度も受けている。にもかかわらず、セゴビアは彼の音楽を否定して1曲もレパートリーに加えなかった。バリオスの影響を受けたヴィラ=ロボスやメキシコのマニュエル・ポンセなどの曲は盛んに取り上げたのに、だ。それだけでなく、セゴビアは公開講座を頻繁に開き世界中のギタリストの神様になったのだが、その講座でバリオスのことを聞かれるごとに、「彼は作曲家としては良くない」と否定しつづけた。そのおかげで『大聖堂』など数曲知られる範囲から興味を持った演奏家も弾くに弾けなかった。神様が仰る限りは。
 その壁を打ち破ったのはジョン・ウィリアムスの勇気だった。彼もセゴビアの愛する天才児として育ったが1979年、楽譜出版を受けて、バリオスの作品だけを満載したアルバムをリリースした。衝撃だった。なんと美しい作品が埋もれていたのだろう? ライナーノーツではセゴビアのそのような評価や画策には触れられていなかった。ヘスス・ベニーテスがバリオス・マンゴレギター作品集の楽譜や、1992年にリチャード・D・ストーヴァーが伝記を出すにいたって二人の関係、バリオスの優位が明らかになってきた。
 セゴビアほどの音楽界の大功労者が、なぜ、そのような姑息な手段に出なければならなかったのだろう。 彼が最初のギターのレッスンをジプシーの老人から受けたこと、彼自身に貴族趣味があって、 最終的にスペイン王家から公爵位を授けられていることから何かが推測できるのではないだろうか。公式には理由が語られていないので、詮索はこれくらいにしておこう。
 パラグァイで先住民グァラニー族の血を引いて生まれたバリオスはあるときから、明らかに民族意識を前面に押し出した考えから、インディオの衣装に羽飾りの姿でステージに立つようになった。マネージャーにのせられて、恥ずかしいパフォーマンスをやったとの説もあったが、伝記によればはっきりとした政治的なアピールのために行ったとされている。だとすれば、歴史的にみれば、先住民の人権拡張運動の最初の運動家ということになるかもしれない。そのような強い姿勢と派手なパフォーマンスが逆に、一時的な流行の後に、保守主義の台頭とともに人気の低落を招いてしまったのではなかったか。カリブ海方面も戦乱を前に政治的な圧力が高まり緊張を孕んでいたのだ。
 バリオスは失意のうちにエルサルバドルの首都、サンサルバドルの小さな音楽学校のギター科教授として最後の日々を送った。最後の年、アメリカから吹き込みの以来があった。再び世界レベルのスターに返り咲くチャンスだったが、持病の心臓病が悪化し果たさないまま亡くなった。彼の最後の曲は『最後のトレモロ』として知られる『ウナ・リモースナ』神の御名においてお恵みを、と言って現れる女乞食の言葉をメロディーに置き換えて作った、静かで優しい響きの、それだけになめらかなトレモロ技術が求められる難曲だった。神に命のお恵みを乞うていたのかもしれない。この曲にいたるまでパラグァイにいた10代の頃から含めて300曲を作曲したと言われている。旅公演の連続だったことと、気前よく楽譜をプレゼントする癖があって散逸してしまっていたが、ベニーテスらの努力でその豊かなレパートリーが復元されている。『大聖堂』『郷愁のショーロ』『森を夢見て』『ワルツ第3番』『ワルツ第4番』『アコンキーハ』『マシーシャ』など名曲は数限りない。まあ300曲は越えようがないけど。ギターのための作品だけなのだが、その内容の豊かさ表現の深さは交響曲作曲家に負けていない。サウダージの切なさは随一といってもいいだろう。録音にしても、先のウィリアムスの旧盤に加えて新盤、進行中の全集が2組。わが鈴木大介と、アンティゴーニ・ゴーニ。ほかにも、アレクサンドル・S・ラミレスの盤も上げられる。
 しかし、これらを放っておいても特筆しなければならない録音がある。バリオス本人の演奏がSPレコードから復刻されているのだ。パラグァイのバリオス協会に原盤があり、コピーしたカセットを岡山にある日本バリオス協会が販売している。その演奏は、さすがに音質は悪いけれど、演奏スタイルは少しも古びていない、現代的ですらある。ほぼインテンポで進めながら、表情をつけるための最低限のテンポ変化をボリュームの変化とともにごく自然な範囲で行っている。爽やかで清潔な演奏、技術をひけらかすような曲芸的な演奏はちっともやらない。音色は伝えられてきたように、スチール弦を弾いているのに、現代のナイロン弦のように柔らかい。小さなゴムの玉を挟むという発明によるもののようだ。作曲家本人のものだからという歴史的価値からだけでなく、一度は聴いてみるべき演奏だ。
 第2次大戦後、ナイロン弦が市場に出回りはじめると、セゴビアは多くのギタリストが逡巡するのを後目にまっ先に宗旨替えし、積極的に採用した。残念ながらバリオスはその寸前に亡くなっていた。ナイロン弦が主流になり、セゴビアは神様に祭り上げられた。以後、35年間バリオスにとっての暗黒の時代が続くことになったのだ。


A.バリオス・マンゴレ『バリオス・マンゴレ ギター作品集No.1&2』日本バリオス協会(岡山)
J.ウィリアムス『大聖堂』SONY 25AC370
J.ウィリアムス『グレート・パラグァイヤン』SONY SRCR9762
鈴木大介『バリオス全集1・2・3』fontec FOCD3458/3466/3484
A.ゴーニ『バリオス全集1』NAXOS8.554558
A.S.ラミレス『コンフェッション 』grammophon471 532-2

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