モーツァルト

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モーツァルト、ウォルフガング・アマデウス
(1756-1791)
(参考)ホルン協奏曲

 さて、あまり馴染みのない名前ばかり続けたので、この辺でA面でお馴染みのドイツのビッグネームにご登場いただこう。トップバッターはやはりモーツァルト。彼はもともとB面にいたほうが似合うようなアンチ権威主義、反教養主義的な人間だと思うのだけど、すでにあまりにA面の手垢が付きすぎている。
 新鮮な目で見るために、A面に選ばれていない曲を集めてみると、そこに共通する性格が現れてくる。19世紀に主流だった天真爛漫、無垢な心の天才少年モーツァルトのイメージ。A面の歴史観ではこのイメージを避けて、彼をむりやり人間的苦悩の世界の住人として捉えなおそうとしているようだ。たしかに、それだけの重みのある重要な作品をたくさん作っている。
 でも日常、拝聴の姿勢をつづけるのは健康ではない。聞き手が積極的に音楽を選び、充実した時間をつくり出そうと考えれば、選択は自ずから違ってくる。当時の貴族連中もモーツァルトは重すぎる、内容が濃すぎるといって反発した。正解です。
 圧倒的な芸術作品はリビングではなくコンサート会場などでイベントとして体験すべきものだ。そのような作品は、いわばモニュメントであって、自分の室内に置くのは趣味が悪い。
 個人で楽しむべき曲も数えきれないほどあるが、ここで推薦するのはまず第一に、『ホルン協奏曲』。友人、バカのロイトゲープのために作った曲集。4曲ある。スカトロジーのネタで笑い転げる陽気なモーツァルトを堪能できる。これほどくつろいではしゃいでいるモーツァルトもめずらしい。人生の明るさを信じたくなるような明るい音楽に突然影が差すのは、それがモーツァルトというしかない。推薦はこれ一曲にとどめるけれど、いい曲はまだまだたくさんある。
 モーツァルトの本領、同時代の作曲家にくらべて圧倒的に優れている分野は、オペラ、ピアノ協奏曲、喜遊曲。なかでも、だれが聴いても美しいと感じて、飽きずに楽しめるのがピアノ協奏曲。27曲もあって、とっかえひっかえ本当に飽きることがない。なかでも10番台の前半は粒ぞろい。20番台になると、あまりに暗い絶望の淵を見せてくれるので、日常楽しむぺき曲ではなくなってしまう。生活の折り節、大切なときに襟を正して対峙するにふさわしい作曲家であり、作品となる。B面は10番台に執着しよう。その心地よさは、玉を転がすような軽快さと、オモテウラのない稚さのようなもの。モーツァルト自身もピアノの音の粒が揃うことを好んだように、音が揃うことによって、天上界の無重力の軽快さ、爽やかさがはじめて確保される。思い入れたっぷりすぎる演奏も逆効果。ピアニスト選びは要注意。
 古典派は、音と音を組み合わせる単純な音楽の楽しみ、音とともに過ごす愉悦こそが命。もっと趣味のいい曲がある。
 それが喜遊曲のたぐい。モーツァルトの場合、セレナーデやさまざまな室内楽も同じような性格を持っている。明るい楽しさでは、ほかにまさるものがない。ベートーヴェンの初期やハイドンも楽しいけれど、汚れのなさという点でモーツァルトは特別の存在でありつづける。それは一生涯つづいた特質で、どの時代の作品からも味わうことができる。
 子ども時代のミラノ弦楽四重奏曲と晩年の弦楽五重奏曲第6番。はつらつとしたなかの哀しみと、恬淡とした絶望。それがさらさらと流れ去って爽快な音楽に。あやうく芸術しそうなところで迂回して楽しい音楽に留まってくれている。ちゃんと聴きごたえと個性があって充実の選択。ともかく、気取ったり、頭を抱えたりすることなく気楽に聴くべき曲を自分なりに探すのが一番だろう。

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