ドビュッシー

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ドビュッシー、クロード・アシル
(1862-1918)
(14)放蕩息子
(15)シランクス

 近代フランス音楽の象徴のような存在だ。その印象主義的な作品や和声史上の役割についてはもう十分に紹介されていて、B面でこの上にとやかく言う必要はないだろう。ここでは彼が道を迷っている間、天才の直感に任せて書いた作品と、晩年、新古典派に傾いたのちの作品を紹介しよう。
 『放蕩息子』はローマへ留学するといい人と別れなければならないので、ローマ大賞受験を嫌がった、若いツバメのドビュッシーが書いた作品。グノーが「一回だけ年寄りを喜ばせるようなことをすればいいのです。賞をとってしまえば好きなようにすればいいのですから」と説得して書かせた。マスネ風に仕上げて見事大賞獲得。作曲の背景はすっきりしないけれど、曲は叙情的で滑らかな響きが人を陶然とさせる。
 もう一曲、「ビリティスの歌」は悪い遊び仲間のピエール・ルイスの詩に付けた作品。フルート2本、ハープ2挺、チェレスタ、語り。なんとも魅惑的な楽器の組合わせ。エロティックな想像をかき立てる詩といい、喜ばしい下品さではないか。この曲を書いたのは、ルイスとアルジェへ出かけて、ルイスが現地の女性を恋人にしてポルノ写真を取りまくっていたときのことだ。ドビュッシーは主犯格にこそならないものの、いつもルイスやジイドたち悪党どもとつるんで遊んでいた。悪い遊びから想像力をかき立てたという意味でも近代的芸術家の名にふさわしいかもしれない。
 『シランクス』は名作「牧神の午後への前奏曲」の遠いリフレインのような曲だけど、20年ほどのキャリアが甘っちょろい夢物語を研ぎすまされたリアルな想像力に成長させている。牧神の、午後への、前奏曲、と回りくどく修飾だらけだった考えも、シランクス(牧神の笛)と端的になっている。フルート独奏のスタイルも潔く、引き締まった響きははるかに強靱になっている。最初のフレーズでいきなり異界に連れ去られない人は、少し感受性に問題があるに違いない。
 晩年に完成させた大規模な作品、「聖セバスチャンの殉教」はもともと劇附随音楽だけど、いわゆる交響的断章というスタイルで聴くことをお勧めする。そのほうがまとまりがあり、舞台の進行を見ない附随音楽の間延びした時間を持て余さずにすむ。ダヌンツィオが書いたセバスチャンが矢に射抜かれて悶え苦しむ様を美しいと感じる、変態趣味の台本に美しく透明な響きを付して、その変態趣味を清潔なものと勘違いさせるだけの大成功作品。筆者にはその手の趣味が残念ながら理解できないのだけど、出来上がった音楽の美しさはまちがいなく特級の仕事だ。
 ドビュッシーは56歳で死んでしまう。大腸癌を患って晩年、何年も苦しまされた。その間、上流階級出身の妻エンマと娘たちを養うためにあくせくと作曲に励まなければならなかった。不機嫌から出た失言(本音だったかもしれない。急に有名になった旧友を恐怖から馬鹿にした?)で、親友サティを失うなど孤独な日々だった。音楽とまっすぐ向き合う時間が持てたはずだ。クロード・ドビュッシー、フランスの作曲家と署名し、古典に回帰した。それはサン=サーンスがずっと提唱してきた美学を自分のものとして僭称する行いで、悪党精神は最後まで健在だった。

ベルティーニ/ノーマン/カレーラス/Fディスカウ「放蕩息子」ORFEOC 012821 A
Wシュルツ「シランクス」Grammophon429738-2