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zoom RSS 40年代ピアニスト/第23回「ケフェレック、J.=Ph.コラール」

<<   作成日時 : 2012/03/25 12:26   >>

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●『アンヌ・ケフェレック』1948〜
※参考:「ハイドン、シューベルト、スカルラッティ、プロコフィエフ(75年実演)」

 かつて好感をもって聴いた記憶はあるが、感銘を受けるところまでは行かなかったように思う。最近、ラ・フォル・ジュルネの演奏家として人気を博しているようだ。
 演奏会のメモを見ると、ハイドンではテーマが回帰するところでわずかにテンポを落とすことで、知り合いと出会って立ち止まって挨拶するような感覚を作り出している、と記している。これは古典派を演奏するうえでの当然の気配りだけど、出来ていない人が多いのだから、ユーモアを感じさせるレベルで演奏できるというのは、知性派の証だろう。シューベルトでは少し一本調子に陥った。スカルラッティは5曲の中間だけゆっくりの曲で両側は快速に飛ばす構成。技術的に少し粗くなったようだ。プロコフィエフではテクニックの冴えを披露した。
 可憐な女学生風だった彼女も60歳を過ぎて、すっかり老練になったわけで、曲の捉え方の安定感を増し、どう聴かせるかの知的なメスの入れ方も十分弁えているだろうし、たっぷり知恵も身に付けているだろう。“熱狂の日”というタイトルとは不似合いな気もするが。


●『ジャン-フィリップ・コラール』1948〜
※参考盤;「フォーレピアノ作品全集」

 この年代のフランスのピアニストは後に出たベロフなどと比較されて、ちょっと立場が苦しい。ルネ・デュシャーブルなどもそうだろう。コラールの場合、フォーレの全集に挑んだために大先輩のジャン・ユボーとも比較されてしまう。
 コラールは音色が温かく、音の芯がすこしぼやけたような弾き方をする。フォーレの初期の作品には適しているが、後期になるともっと冷え冷えとしたほうが良くて、あきらかにユボーに軍配が上がってしまう。
 フォーレの音楽は馴染みやすいけれど、正体を見極めるには、あまりに優雅な曲線的メロディーに行く手を阻まれる。初期には、そのサロン的優雅さが表現のメインのようになっていたが、次第に優雅さは表面的になり、人を遠ざけるような底冷えのする怖さ、頑さが目立つようになってくる。人の温かみの表現としては、人が座っていた石のかすかな温もりからその存在を知るといった、迂遠な方法を取っている。だから、ユボーのような伶俐な音色を持ち、構造的な表現を柱とする人のほうが、フォーレの本領によりよく迫れている。
 ラヴェルの協奏曲や『鏡』も聴いているが、ニュアンスはよく伝わってくるけれど、正確さや音色の研ぎすまされた美しさのようなものは感じられず、少々荒っぽい。作曲者本人が若き日のホロヴィッツに「君は私の曲をリストのように弾いたが、正しいアプローチだ」と語ったという。コラールの演奏をリスト風と言えなくもないだろうが、夜の闇の輝きのようなラヴェル特有の詩情は生まれてこない。
 コラールはベロフがデュオを組む相手だったので、異なる個性の同等の実力者と認めているのだろう。まあ、ハンガリー舞曲やスラヴ舞曲とかなので、その実力は測りがたい。
 ラフマニノフの協奏曲などもあるようだが聴いていない。フォーレとラフマニノフを両立させられるのだとすれは、ほぼオールマイティといったところ。さて、どうだか。

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