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zoom RSS 40年代ピアニスト/第14回「P.レーゼル、E.モギレフスキー」

<<   作成日時 : 2012/01/14 12:00   >>

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『ペーター・レーゼル』1945〜
※参考曲:「ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第3番」「ブラームス/ピアノ五重奏曲」「ベートーヴェン/ピアノ協奏曲」

東ドイツの実直な地味な存在と思い込んでいたが、ザンデルリンク伴奏の協奏曲を聴いてみると、のっけからクライマックスのように興奮しまくっている。どこもかしこも、盛り上がりだらけ。いささか疲れるが、大変なパワーの持ち主。目指しているのは圧倒的な大興奮世界、意外千万。
ロシアのヴィルトゥオーゾたちのような技のキレと音色の輝きに欠けるが、切れ味の鈍いまさかりを力一杯振りかぶって打ち下ろしてくる迫力は逃げようがない。
ブラームスでも興奮は同じ。
ベートーヴェンでは、案外大人しく、モーツァルトに近い部分をいくぶん強調している。ここで最初に書いた“実直で”という表現が当てはまるように思う。端正で、しっかり押し込むタッチ、力強い構成力を持っているので、指揮者がクラウス・ペーター・フロールのような凡庸な人でなければ、三度、興奮の渦であったかもしれない。


●『エフゲニー・モギレフスキー』1945〜
※参考実演 '74年「クライスレリアーナ・夜のガスパール・プロコフィエフ/ピアノソナタ第7番」

経験の乏しい若いときに聴いたものであてにならない。おまけにこの演奏会のマネジメント会社の面接がてら聴かせてもらったもので、お世辞一つ言う才覚もなく、生意気に批評を試みたりする唐変木だった。
その唐変木の意見をここに恥ずかしいげもなく開陳することにしよう。
比較的低音が強くよく響く。音色は独特で、繊細と豪放が交替する。と書いている。ロシアのピアニズムは言い当てているけれど、そのピアニズムの標準であることをまだ知らなかったようだ。
クライスレリアーナで、陰陽の交代(フロレスタンとオイゼビオの楽想のことか)ばかりを目立たせて、メロディーラインが埋没している、とある。メロディーラインを追わないとするとロシア派としては異端。
夜のガスパールでは、常識的な演奏で、楽章ごとの大きなテーマである官能性、瞑想性、ダイナミズムをなぞっているだけと断罪している。この曲では聴衆は拍手すらしなかったとも。大阪の聴衆がつまらなかったからといって、それだけの仕打ちをできるものではない。おそらく曲を知らずに、拍手のタイミングを失っただけだろう。聴衆の一人でいながら偉そうに高みの見物をしていた若き小生にも責任はあるだろう。
その聴衆に怒ったピアニストはプロコフィエフを猛烈なスピードで弾いたようだ。
そのことによって、乾いた諧謔性しか感じていなかったプロコフィエフにただならぬ美しさ、詩情が生まれたことに驚いてる。プロコフィエフは最初から美しいのであって、それまでにいい演奏を聴いていなかったことが露呈しているようだ。
最後の一言が気が利いている。怒らないと聴衆を納得させられないピアニストは困り者。確かに。その後、モギレフスキーの名を聞かなくなったことの一因があるかもしれない。(ヨーロッパでは地味に活動をつづけているようで、アルゲリッチは彼が優勝したエリザベート・コンクール以来のファンで、彼女の音楽祭に招いているようだ。ちなみにコンクールには彼女も出場予定で会場まで来ていたが、直前キャンセル。)

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