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zoom RSS 40年代ピアニスト/第12回「プリューデルマシェ&ルプー」

<<   作成日時 : 2012/01/01 23:00   >>

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●『ジョルジュ・プリューデルマシェ』1944〜
※参考盤:「ラヴェル/ピアノトリオ」「ミルシテイン・アンコール集の伴奏」「ベートーヴェン/ピアノソナタ」

70年代にフランス弦楽三重奏団と共演したラヴェルのトリオの演奏で知った。その端正な演奏、静かなリリシズムに惹かれて愛聴した記憶がある。その後、ミルシティンの伴奏者として名を上げた。
最近ではラヴェルのピアノ作品の全集やベートーヴェンのピアノソナタ全集がよく取り上げられる。ベートーヴェンのソナタ(14番、30番etc.)を1枚だけ聴いた印象では、方法論で攻めるタイプではなく、オーソドックスな“歌心”を瑞々しく開放する演奏。“月光”のような曲でも、どこがどう新しいという訳でもないのに、しっかり弾き込み、新鮮な曲として聴かせる力がある。

●『ラドゥ・ルプー』1945〜
※参考盤:「シューベルト/ピアノソナタ第14番」「ベートーヴェン/悲愴・月光・ヴァルトシュタイン」(以上初期)「シューマン/フモレスケ・子供の情景・クライスレリアーナ」「シューベルト/即興曲」「ブラームス/ピアノソナタ第3番」

70年代を沸せた若手ピアニストのなかでも傑出した個性が際立つ一人。100年に一人のリリシスト、というようなキャッチフレーズだったように思う。抒情詩人という言葉を避けた意図は判らないが、抒情性が特徴として売りにつながるとレコード会社が目論んだにちがいない。
たしかにソフトなタッチが夢見るような瞬間を作り出すのは事実。テンポもゆったりとしている。参考に掲げた初期の2枚でもその傾向はやや見られる。来日を経て80年代に近付くにしたがってどんどんテンポが遅くなって行った。それは、彼の演奏が抒情性に軸足があったのではなく、瞑想性にあったことを物語っている。
深く自分の世界に分け入るほどに、その流儀が身に着くほどに自分の世界が重要に思えてくる。より綿密に自分の世界を開陳しようとすればするほどテンポは遅くなる。
しかし、客観的に見ると彼の心の中の世界はテンポを動かしたところで同じ大きさの世界であり、テンポを落とすことで、希薄になるだけである。よほどの魔法に掛けてもらわないかぎり、その秘密の世界が重要に思えない。彼が長い鬚を蓄え、蓬髪を靡かせているのは、存在を重々しく見せるためだろう。まるでラスプーチンのようだ。
こけ脅しばかりで、眠いほどに遅くなった後年の演奏はともかく、デビュー当初の演奏はテクニック、ダイナミズム、アゴーギグの巧みさ、情動の深さ。低音のズシリと響く重さ、太さ、そして高音のきらびやかさ。テンポの微妙な出し入れに至るまで、すべてにおいて老巨匠のようなゆとりすら感じさせる演奏だった。一口に言ってスケールの大きな演奏。ダイナミックレンジの広さだけでなく、精神的な大きさも感じさせるところがあった。
それ以前のルーマニア国内デビュー盤で「皇帝」を弾いたものがあったけれど、それはまだ一途に力任せのもの。そこから数年で見事な変身を遂げている。その後のさらなる変身が早すぎたことが悔やまれる。
ここまで書いて、90年代録音のシューマンを聴いてみると、頭の中に出来上がったイメージよりは、ずっとまともで、テンポは遅いレベル、異常にと冠を付けなくてもいいかもしれない、と感じた。緩急の差が小さいけれど、曲想の変化はアゴーギグやリズムの際立たせ方などで、見事に明確になる。音楽の捉え方にはやはり天性の巧みさがあるようだ。
82年録音の「即興曲」は一番遅かった時代のものだろうか。シューベルト特有の行方定めぬ展開になると、遅さが活きている。止まりそうな遅さだが、曲の面白さは十二分に伝えている。ブラームスの第2楽章のアンダンテエスプレッシーボがやはり止まりそうなくらい遅い。その代わり高音の単音がブラームス晩年の真珠の小粒のように美しくはある。

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