B面クラシック くれなずむ音楽

アクセスカウンタ

zoom RSS 40年代ピアニスト/第8回「マウリツィオ・ポリーニ」

<<   作成日時 : 2011/11/19 23:41   >>

トラックバック 0 / コメント 0

●『マウリツィオ・ポリーニ』1942〜
※参考盤:ショパン「練習曲」/シューマン「幻想曲・PSon No.2」/シューベルト「さすらい人幻想曲・PSon No.14」/ベートーヴェン「PSon No.30・31」/ドビュッシー「練習曲集」/シェーンベルク「小品集」

 ポリーニは明らかにエポックメーキングな衝撃を伴って登場した。デビュー盤の「ペトルーシュカ」や「プロコフィエフ/PSon NO.7」も凄まじかったが、2枚めのショパンが凄かった。設計の透視図で音楽を描いたかのように、すべての音が透けて見える感覚は誰もがはじめて経験するものだった。己の感情による揺れを一切排してしまう冷徹さ。楽譜に書かれていることの厳然たる物理的事実としての音響化。そのように受け取れたものだった。シューマンを弾いても、シューベルトを弾いてもその態度は変わらなかった。ロマン派の代表選手を軒並み無個性化することで驚かせてみせた。
 しかし、次のベートーヴェンで躓いた。アプローチは同じだったし、パフォーマンスも同じレベルで仕上がっていた。しかし、ベートーヴェンが音楽を通じて求める精神性は完璧な音化によるだけでは満足されないものだったのだ。ベートーヴェンの音楽はどうやら、強い意思を反映した音で紡がないかぎり説得力を持たないということだろう。
その後、シェーンベルクやドビュッシーで見せた音色美、現代的な感性、ロマンティックな情動というより、無機的な音構造や不協和な緊張感から生ずるかすかな詩情への敏感さなどはデビュー盤で見せていたものが、より豊かに結実している。
最近のポリーニをほとんど聴いていないのだが、テクニックの完璧性、構造解析の徹底性などが退き、情動による揺れが目立つようになっていると、洩れ聞く。ポリーニもやはり人の子だったか、と少し寂しい思いで聞いてしまう。
70年代のポリーニは、人間が機械を上回る物理的性能を持ち、情動の芸術である音楽を絶対的な物理的現象として冷静客観的に再現できるものと、錯覚させるところまで迫りえたということで、圧倒的な存在だった。
その後の彼は徐々に、徐々に音楽の情動に蝕まれたのか、完璧な技術に翳りが見えてきたことで、その技術に見合った演奏内容を模索しているのか、いずれにしても70年代の説得力を上回ることはついにできていないと想像している。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

40年代ピアニスト/第8回「マウリツィオ・ポリーニ」 B面クラシック くれなずむ音楽/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる