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zoom RSS 40年代ピアニスト/第1回「エッシェンバッハ」

<<   作成日時 : 2011/09/24 12:36   >>

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40年代生まれのピアニスト

 昨年11月以来の復活。前回、大きな特集を組んだコヴァセヴィッチが1940年の生まれ。彼も戦後世代の先陣を切った一人だが、以後、陸続と若手ピアニストが登場して行った。もちろんかれらの先輩としてウィーン三羽烏やブレンデル、グールド、ハイドシェックらがいるのだが、世代的なまとまりは感じられない。グールドはどの時代をも超越した異端児であったし、ほかの5人はどこか戦前の尻尾を引きずっている感がある。
それが40年代生まれになった途端、周辺国からの殴り込みがいっせいに華開いた。南米勢はアルトゥール・モレイラ・リマを筆頭に、アルゲリッチ、シドン、フレイレ、ケルセンバウム、フランセシュ、グティエレスとつづいた。ソ連以外の東欧からはパラスキヴェスコ、ルプー、そして年齢的には29年生まれで一世代前の人間のはずだが、本格的デビューの遅れたワイセンベルクも同じ波のなかにいた。ポルトガルからピリス、アジアからクン・ウー・パイク。アメリカからペライア、P.ゼルキン。戦争孤児のエッシェンバッハやワッツがいるのもこの世代の特徴に挙げられるかもしれない。
 戦争当事国の独仏伊三カ国がたまたま音楽の中心国でもあり、そこが経済的な疲弊と人的な損失によって、人材を輩出できなかった時代、急に伝統のたがを外されていっせいに自由の嵐が吹き荒れ、百家争鳴の賑やかさがもたらされた。この世代の40名ほどをけみすれば、ほとんどのピアノ演奏のスタイルが分類されつくすのではないだろうか。50年代以降も多くの優秀なピアニストは生まれてきているけれど、この世代ほどには個性的ではなく、立派だけど誰かに似ているという感がする。
 たとえば、53年生まれのアンドラーシュ・シフは、ノン・レガートや極端なテンポ設定こそ避けたものの、ビート感覚を取り入れ、バッハやモーツァルトに生命力を吹き込んでグールドの2番煎じをやってみせた。功なり名を遂げると、誰からもダメだしをされない、テキストクリティックの徹底と構成論理の完璧さで、音楽の1音1音を展翅して、音が生き生きと立ち上がってくることのまったくない完全標本を作ることで、第二のブレンデルになってしまった。
 56年生まれのツィンマーマンは磨き抜かれた音色はポリーニに、巨匠性はフレイレに似ている。57年生まれのエマールは透視図のような音作りがポリーニにそっくり。58年生まれのエル=バシャは時代がかった感情の起伏がゲルバーに、ポゴレリッチのエキセントリックなところは彼を評価したアルゲリッチに似ている。
 もちろん後からつづくものは不利で、どうしてもすでにあるものと比較されて理解されてしまう。身近にお手本があるというのも、逆に不利でオリジナリティを失いやすい。その意味からも空白を埋める役割を担った40年代のピアニストたちは運が良かったといえるだろう。
 ということで、40年代のピアニストを詳しく見て行くことで、戦後の音楽界が、戦前から何を受け継ぎ、何を捨て、何を生み出して行ったのか、その全体像が見えてくるような気がする。
では、じっくりと取り掛かることにしよう。生年順に、まずはエッシェンバッハから。


●『クリストフ・エッシェンバッハ』1940〜
※参考盤:ベートーヴェン「皇帝」/ショパン「前奏曲」/シューベルト「ピアノソナタ第20番・21番」/ バルトーク「ミクロコスモetc.」/メンデルスゾーン「無言歌」モーツァルト「ピアノソナタ全集」/ブラームス「クラリネットトリオ・ホルントリオ」

 “抒情詩人”だとか“黒のショパン”などと惹句をいろいろ使ってマスプロ的に売り込まれた人だ。それをよく思わなかったのか、次第に指揮に手を染め、Grammophonレーベルから離れることになる。
 この人のピアノの本質はそのような表現を招いたシューベルトやショパンよりもモーツァルトのピアノソナタ全集によく表されていると思う。澄んだ軽い均質なタッチ。良くも悪くもこのタッチがあるからこその表現を模索した。
 指揮からも分かるように、またその守備範囲からもただちに了解できるようにロマンの人である。しかるに、ピアニストとしての表現道具はモーツァルトに適した軽妙なタッチでしかなかった。だから、モーツァルトでは健康で清潔な音色をベースに、モーツァルト演奏としては大きな表情付けに成功している。同じことはベートーヴェンにも言えて、『皇帝』のような明朗な音楽を力一杯元気に演奏して下品に堕すことがないし、第2楽章の瞑想的な音楽も美しくまとめられている。
 ところがシューベルトやショパンなどのロマン派に至ると表現の範囲を拡大しようとする。その際、音色のパレットの少なさ、強弱のダイナミクスの幅の狭さに妨げられて、極端に遅いテンポ、最小限に絞り込まれた音量にその活路を見い出さなければならなかった。この選択を行ったということは、自分の長所短所に自覚的だったということだ。あえて隘路を行くことで個性的な演奏を獲得したのだが、やればやるほど自分の限界を突き付けられる道だったのではないだろうか。でなければ、これから大成しようかという30台前半で指揮の道への転進を図るということはないだろう。
 グラモフォンでのピアニストとしての最後の仕事はソナチネ集だっのではないだろうか(歌曲の伴奏は大変多く、今でもつづけているようだ)。バッハのインヴェンション、バイエル、ツェルニー、クレメンティ、ドゥシェックにモーツァルトやベートーヴェンを加えた15巻ものだったように記憶している。大部なので買いそびれてしまったが、おそらくエッシェンバッハの最良の部分が聴けたのではないだろうか。音色のパレットを要求されず、フレーズの読みの深さを生かしやすい曲。商売本位の企画というだけでなく、本人も自分を活かす企画として乗り気だったのではないだろうか。
 それを偲ばせるのがメンデルスゾーンの『無言歌集』。伸び伸びとした息づかいでロマン派随一の清潔なリリシズムを軽やかに弾き過ぎて行く。もたれることもなく、心温まる時間を与えてくれる。
 後年の指揮振りから感じられる濃厚なパトスを探すとすれば、ブラームスのクラリネットとホルンの両トリオでのピアノ。あるいは『子供の情景』をはじめとするシューマン・アルバムなのだろう。

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