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zoom RSS コヴァセヴィッチ楽派宣言46 シューベルト/ピアノソナタ第21番他

<<   作成日時 : 2010/09/06 23:24   >>

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No.43『シューベルト/ピアノソナタ第21番』
    ピアノソナタ第21番変ロ長調D.960
    12のドイツ舞曲(レントラー)D.790
    アレグレット ハ短調D.915
    EMI 5553592 94年6月録音

【ピアノソナタ第21番】
 D.959に引き続き録音されたので、当然最後の遺作三部作ハ短調のD.958も録音されるものと期待していたのに、ついにそれは叶わなかった。後から考えてみると、このアルバムの最後に入れたアレグレットが同じ調性で、三部作への期待に応える代わりにいたずらな目配せをしていたのではなかったかと思われてくる。コヴァセヴィッチはベートーヴェンのソナタは全集に挑んだけれど、基本的に全集主義者ではない。協奏曲ではベートーヴェン、ブラームス、バルトークを録音したけれど、全集と名乗るほどのもでもない。モーツァルトに関してはコンサートでチクルスを行ったことはあるようだが、録音には4曲取り上げたに止まってる。
 ということで、意識的に遠ざけられたハ短調とは違って、この変ロ長調は2度目の録音。お気に入りの曲と言えるだろう。来日時のリサイタルでも取り上げていたけれど、紀ノ国屋ホールのときには、客の集中度が低く、コヴァセヴィッチはおかんむりで、繰り返しこそが魅力のこの曲で、繰り返しを一切省いて早々に舞台を降りたと伝えられている。彼の演奏は曲との一体感が前提であり、その一体感を得るためには相当の集中を必要とする。紀ノ国屋ホールのような事態があると演奏不能に陥る。かつて若かりし頃に、グールドから公開演奏を辞めるよう勧められたという話も伝わっている。
 では、集中度が高いときの演奏はどうだろうか。
 第1楽章、存在の不安そのもののような低音のゆるいトリル。だれかに訴えるというほどのものではなく、甘受してしまって、自分の生活と一体になってしまった不安。発展のない楽章で不安を軸にワンダリングをつづけるので、まだ秋の山だというのに遭難必至。繰り返しの多さも大いに効果を発揮している。
 第2楽章、高音のキラキラした輝きで可愛い音楽のふりをしているが、低音部の和音に不穏さが渦巻いていて、いつか呑み込んでやろうと手ぐすねを引いている。
 第3楽章、トイピアノのような可愛い音も出すけれど、可愛い音楽にはなり切れていない。ここでも不安が同居している。
 終楽章、やっと気分が晴れて愉しい音楽に浸っていると、突如暗転する。その直前のルフトパウゼの闇の深さに慄然とする。次に待ち受けていることの恐ろしさを雄弁に語る一瞬の沈黙。見事。

【12のドイツ舞曲】
 これもクールダウン用の曲。と同時にコヴァセヴィッチお気に入りのワルツの原型のレントラーでもある。ここでは裏のない寛いだシューベルトが聴ける。小市民ビーダーマイヤー気分が横溢していて、喜びも哀しみもぬるま湯に浸っている感があり、しかもどこか優雅さに憧れたような軽やかさもある。コヴァセヴィッチは慈しみに満ちたタッチで掌に入れて玩弄しているようだ。

【アレグレット】
 ソナタの断章のような曲。もう一度ソナタの気分を蘇らせる働きと、ハ短調ソナタへのお断りの挨拶の役割も果たしている。抑え込んだタッチのくぐもった強さが独特だ。

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