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zoom RSS コヴァセヴィッチ楽派宣言44 シューベルト/ピアノソナタ第20番他

<<   作成日時 : 2010/08/21 22:30   >>

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No.41『シューベルト/ピアノソナタ第20番』
    ピアノソナタ第20番イ長調D.959
    楽興の時D.780
    EMI 5552192 94年12月録音

【ピアノソナタ第20番】
 第1楽章、力強いタッチとベルベットタッチを織りまぜて、不安定な天気のように、陽射しが変わり風の匂い、温度も刻々と変化する。そのすべてがコヴァセヴィッチの微妙なタッチの変化から生み出されている。ソナタ形式がシューベルトではすでに崩壊していて、何かを提示し、新しい何かを定立するということはなくなり、ただたゆたうのみ。市民という概念自体がまだ定着していない時代、何ものにもなれない一般市民シューベルトの苦悩のありようそのままだ。
 第2楽章、不安のなかに見い出した天国的な美しさ。その美しさに浸りたいけれど、ここでも不安との往復だ。
 第3楽章、諧謔による空騒ぎと不機嫌の往復。諧謔がどこか自虐的なので、必然的に不機嫌になる。
 終楽章、力強い行進を繰り返す。しかし、何処へ。
 基本的にはコヴァセヴィッチは対立軸を見い出して、その交代をタッチの使い分けによって表現し、分かりやすい構図を作った上で、さらにその中間的な気分のグラデーションを千変万化のタッチで実現している。
 そして、不安というものの正体もよく知っている。
 明確な対立、しっかりした構図の枠にはまっていて予測の立つものは不安ではない。予告なく現れる不穏な音、和音こそが不安。しかし、それを“不安のテーマ”にしてしまっては、不安は消えてしまう。不安は所在なげに現れなければならないし、その場に納まりきらない異分子でなければならない。その一瞬の恐怖を孕んだ音作りが巧みなおかげで、その後の不安の絵解き部分も説得力高く聴くことができる。
 音楽のなかの情緒の流れに敏感で、精通しているからこそ、またそこに見合った音をいくらでも見つけだすことのできる、豊かな音色のパレットを持っているからこそ可能な演奏だと言えるだろう。

【楽興の時】
 かつて50年ほどの昔、NHKのラジオ第1放送だったと思うが、日曜日の朝『音楽の泉』『夢比べ、腕比べ子ども音楽会』という番組が連続して放送されていた。第3番がそのどちらかのテーマ曲。この曲を聴くとついついその時代を思い出してしまう。
 ということで『夢比べ』をなぞって書いてみよう。
 第1番は音階の練習をさせられている子供。第2番は“しっかりしなきゃ”と言いつつ夢見がちな子供が後に悲嘆にくれる。第3番、おどけた人形芝居の世界。第4番、小さな冒険譚。第5番、激しい嵐の襲来、あわてふためく村人。第6番、故郷への帰還。ほっと和む心と浦島太郎的な悲哀。
 番組では子供たちが、もっと微に入り細を穿った途方もない物語を自慢しあうものだった。とてもそんな気恥ずかしい真似はできないけれど、この曲にはそのような童話的な親しみがある。
 そしてコヴァセヴィッチのピアノのタッチもいつにも増して慈愛に満ちた優しさと温かさがある。このような温もりは、ぽってりと分厚い手の平をもったピアニストにしか生み出せないものだ。

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